小学生の日記の宿題とAIの開発についての由なしごと

小学校の日記の宿題

先日、小学校4年生になる息子と話していた際、日記を書くという宿題があり、それが大層骨の折れるもので、どうにもならないが、どのようにしたらよいかと相談をされました。
今回のブログはこの場を借りて、ひとつ子供に教えた日記を書くときのコツをもとに記事を書いてみようと思います。

日本で有名な日記といったときに思いつくものに紀貫之による土佐日記があります。
「男もすなる日記というものを女もしてみむとしてするなり」から始まり、土佐から京都へ帰還するまでのことが重要なことや重要そうに見えないことまで様々書き連ねられています。

土佐から京都への帰還に注目するのであれば、交通に関するものが重要度が高いので、土佐から京都へ移動するルートがいくつあり、そのらのルートのメリットデメリット、所要日数等をまとめたものが情報としての価値があります。

しかし、紀貫之はそのようなスタイルは取っておらず、土佐から京都までの旅程の中の随所に土佐から離れる名残惜しさや、都が懐かしいことが書かれていたり、船が揺れて船酔いをしたが船の揺れがかえって遊びになったといったことも交えて書かれています。

例えば、土佐を離れるときにお別れの挨拶をしたとか京都が恋しいといった事柄は今風の小学校の国語の問題に対する回答となります。

一方で、平安時代の貴族は土佐から京都までどのように移動したかに興味がある場合にもこの土佐日記は重要な情報源になります。

また、文学的な価値を考えるときに、土佐日記について国語の授業でよく注目されることとして、紀貫之が男性の貴族であるにも関わらず自身を女性として漢字かな交じり文の土佐日記を書いたことが挙げられます。

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土佐日記の書かれた平安時代は貴族の男性は漢文で日記を書くものであったが、自身の思ったことそのものを表現するために自分自身を女性だということにして漢字かな交じり文の土佐日記を書いて、それが後の和泉式部日記、蜻蛉日記、更級日記に重要な影響を与えた。と習うことが多いのではないでしょうか。


このように日記一つとっても考えるべきことはいくらでもあり、語るべきことはいくらでもあります。土佐日記という作品を国語の問題として見た場合、昔の交通事情を知るための手がかりとして見た場合、構成の文学作品への影響を見る場合で注目するべき点が異なり、それぞれ得られる感想であったり、評価であったりが異なることがよくわかるかと思います。


実はAIを扱う上で、ある対象を見るときに、何に注目して見るかというのが重要なポイントになります。

ものの「かたち」を調べる

例えばpersistent homologyという視点では物体のトポロジー的な性質が重要になってきますし。

AIレコメンド

ファッションレコメンドの技術では、同じ服を扱うものですが、購入されるお客様の身体的特徴に注目する自動採寸と、服を購入されるお客様の嗜好といった異なる注目点を対象とした技術があります。

「重要さ」というものもAIの開発する上で重要な要素

さて、では日記を書く段になったときに、どのような日記を書けばよいのでしょうか。
土佐日記が何故今日に至っても重要な日記であるとされているのでしょうか。
そこに書かれていることは重要なことなのでしょうか。

では仮に重要なことが土佐日記に書かれていたとして、重要か重要でないかは誰が決めているのでしょうか。
そもそも万人が認める日記の重要さを評価する指標は存在するのでしょうか。
実はこの「重要さ」というものもAIの開発する上で重要な要素になってきます。
どういう事かというと、先ほど述べた注目点とこの重要さが密接に関係しているからです。

例えば、日記の重要さを考えたときに、あなたが小学校の担任の先生だったとします。自分の受け持つクラスの児童の書いた日記と、どこの誰とも知れぬ中年男性の書いた日記、どちらが重要だと感じるでしょうか? 多くの場合は自分の受け持つクラスの児童の書いた日記の方が重要であると感じると思います。

精度評価の際にどのような指標を採用するかでAIのエンジンの性質が変わる重要な要素

一方で、そのどこの誰とも知れぬ中年男性も人の子であるわけですから、両親がいる訳です。
そのどこの誰とも知れぬ中年男性の母親にとっては、どこの誰とも知れぬ中年男性の書いた日記の方が、あなたの担任する小学校の児童の書いた日記よりも重要だと感じるのではないでしょうか。

あるいは、そのどこの誰とも知れぬ中年男性に妻子がいて、あなたがその妻であった場合も同様です。 このような日記の重要さの評価は何に基づいているかというと、まず、その日記を誰が書いたかに注目しています。

その次に、その日記の作者と自分自身の親密さが重要かそうでないかを判断するときの基準になっています。 あるいは、日記の重要さをまた別の注目点、重要度の観点からも評価ができます。

例えば、文字数に注目して、文字数が多い方が重要であるという評価も可能ですし、古さに注目して、古ければ古いほど重要であるという評価も可能ですし、作者の社会的な地位に注目して、作者の社会的な地位が高ければ高いほど重要と評価することも可能です。

あるいは同じ注目点に立ったとして、古い方が重要な場合、新しい方が重要な場合があります。たとえひとつの注目点に立ったとしてもその評価の仕方は一通りには定まらず、時と場合によりその方法を変えているのです。

このように様々な評価方法があるという点もまたAIの技術要素の中でいえば、損失関数の設計であったり、精度評価の際にどのような指標を採用するかでAIのエンジンの性質が変わる重要な要素になります。

そのような多数ある評価方法の中で複数の注目点でかなり高い重要度を持っていたから土佐日記は今日でも重要な日記であると認められているのではないでしょうか。
では紀貫之は土佐日記を書くときに、後世でこのような評価を受けることを考えてしたためたのでしょうか? 恐らくそうではないのではないかと思います。

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兼好法師が徒然草の書き出しで「つれづれなるまゝに、日くらし硯に向かひて、心にうつりゆくよしなしごとをそこはかとなく書き付くれば、あやしうこそ物狂ほしけれ」と書いたように、書きたいことを書きたいままに書いたのが実態なのではないかと思います。

勢い学校の課題で書く日記というと、その日に僕、または、私の暮らしの中でどのような重要なことがあり、その重要なことを通して何を感じて、何に感銘を受けて、これからの人生に何をいかそうと思ったのか決意を表明することを求められているように感じてしまいます。私はそのように感じていました。しかし、紀貫之も兼好法師もまるでそのような大それたことは書いていないのです。

取るに足らないことが価値のあることだった

また、私の好きなエッセーに北杜夫の「どくとるマンボウ航海記」という作品があります。これが書かれた切っ掛けは、北杜夫は第二次世界大戦の直後に漁業調査船に乗って海外を広く旅したのですが、作者が「夜と霧の隅で」という作品の執筆に悩んでいたときに当時としては珍しかった外国旅行 のうち、作者が取るに足らないもの、くだらないと思ったことばかりを書いたところ大層人気が出たというのです。
つまり北杜夫にとっては本来は文学的な重要度の高かったものは「夜と霧の隅で」だったのですが、セールス的な重要度で見たときには「どくとるマンボウ航海記」の方が重要度が高かったのです。物事の評価というものは先ほども述べた通り、注目する点により変わってくるものなのですが、ではなぜ「どくとるマンボウ航海記」が当時流行したのでしょうか。
それは世の中の読者にとっては北杜夫にとっては取るに足らないことが価値のあることだったからであり、兼好法師の徒然なるままに心に移ろいゆくよしなしごとをそこはかとなく書きつくることが多くの人に共感されていた、または今なお共感されているからではないでしょうか。

明日になってしまったら忘れてしまうようなことの方が一年後の自分にとっては大事なことなのかもしれないよ

私たちは自分で日記を書くときには、自分の中で大事なこと、重要なことを書こうと思ってしまいがちです。

しかし、その評価はどうでしょうか。
評価する人、評価するとき、注目する点により変わってくるのであって、つまるところ自分では他人が自分の日記をどう評価しようとするか等は口出しできないものであるわけですからもとより他人から高い評価を得ようとして日記を書くことはさほど意味のあるものではないのかもしれません。

こういう曖昧なことを言っていては子の親としては失格なので、価値のある日記、重要な日記などは読む人の読み方により幾らでも変わるので、良い日記の書き方というのは特にない。

ただ一つ言えることは明日になってしまったら忘れてしまうようなことの方が一年後の自分にとっては大事なことなのかもしれないよとアドバイスをしたところ、不肖の息子もスラスラと筆が進んだようで、彼の感じた取るに足らない下らないことをノート一杯に見せてくれました。

実は日記に書くことなど汲めども尽きぬ泉のようにいくらでもある

なお、土佐日記は青空文庫などで閲覧できます。高校を卒業してからかれこれ長いこと古文に触れていない方が多いかと思いますので、この機会に日本の代表的な日記文学に触れてみると高校生の頃とはまた違う発見があるかもしれません。

土佐日記と、こういったことを話の枕に、他業種からのAIベンチャーへの転職というタイトルで書こうと思っていたのですが、小学生の日記の宿題とAIの開発に関する雑多な思い付きを書いていたら文字数をオーバーしそうなので、今回はこの話の枕をブログの記事としたいと思います。

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ジェームスジョイスは「ユリシーズ」の中でダブリンに暮らすサラリーマンの一日をオッデュセイアにならって書きました。たった一日の出来事をもとにユリシーズという長い小説が書かれているわけで、我々には一日の出来事から書籍一冊を仕上げられるほどの情報に日々触れているので、実は日記に書くことなど汲めども尽きぬ泉のようにいくらでもあるのかもしれません。

では、このブログの記事の中で私が一番伝えたかったことはなんでしょうという問題を読者の皆さんに出してこの記事を終えることにしようと思います。

申し遅れましたが、私はR3/Roboチームのマネージャーをしている坂入という者で、二人の小学生男子の父親として偉そうに振舞いながらも日々の研究開発業務に取り組んでいます。とりとめのない文章を最後までご覧いただきありがとうございました。

R3/Roboチームのコア技術については以下のブログをご覧いただければ幸いです。